ゴリラのちょっと長めのつぶやき

ゴリラのちょっと長めのつぶやきです。

ポスターを外すだけの話

オタクはなぜはてブを書くのか。

それは溜まりに溜まった想いが爆発すると、たかだか一画面くらいの文字数では収まらなくなってしまうから。140字には収まらないし、かといって140字を100投稿とかするのもなんかやだ。

だから、ぼちぼち大切な夜を見て友よを聴いた私が部屋のポスターを外すだけの話、まとめれば一行で済んでしまうたったそれだけの話を、爆発した感情と一緒につらつらと書き綴ってみることにした。文章を書くのは苦手だけれど、たまにはこういうのもいいかと思って。

誰かにわかってもらおうとか、押し付けようと思っているわけではないし、そもそも読んでくれる方がいるかもわからない。完全に自己満足のためだけ書いた内容だから、特典や歌詞、MVの内容にも触れますので、もし見てくださっている方がいれば、閲覧は自己責任でお願いしますね!

 

 

 

 


私はそもそもグッズの物欲が強い方ではなく、特にお顔の写っているものに関しては、かなり財布のひもが固かった。(哀れにもまだ)結婚を夢見ていた頃、もしもいつかお嫁に行くことになってそのときに手放すことになるのは悲しいからと、写真はまだしも、うちわとポスターには絶対手を出さないでおこうと決めていた。

それでも、どうしても、どーうしても欲しくてたまらず買ってしまったのが、パズル魂のエイトレンジャーの集合ポスター。文字通り、一目惚れだった。当時の7人の魅力が溢れるほどに詰まったそれを買わずに我慢するなんて到底無理な話で、絶対最初で最後にするから!と(今となっては何でそんなに頑なだったのか甚だ疑問だけれども)、そう当時の自分に誓いを立てて買ったのを覚えている。関ジャニ∞が自分の部屋にいる!!紙一枚でこんなに部屋が、心が豊かになるんだ!!と、初めてポスターをフレームに入れて部屋に飾ったときの感動は、たぶん一生忘れない。

 


それから、だいぶ経った。受験も学生生活も就職も転職も、人生のある程度のイベントは大方経験して、私もいい大人になった。そばには必ず関ジャニ∞の歌と、家に帰ればそのポスターがあった。私はことあるごとに彼らの歌に励まされ、笑顔に癒され、支えられ続けてきたから、関ジャニ∞は私にとって好きなアイドルなんて枠はとっくに超えていたし、部屋のポスターもはぁ好き…と思うためのものではなく(もちろん見るたびにはぁ好き…と思ったけれど)、私の成長を変わらない笑顔でずっと見守ってくれた、もっともっと大切で尊いものになっていた。毎年のツアーで、こ、今年のポスターはやばい買いそう…って思うことは何度もあったけれど、彼らの、経験を積んで年々増していくかっこよさと色気と頼もしさとその他もろもろの魅力に比例するように、まだあどけなさが残る、目の前の一つ一つに全力で、全員が同じ方向を見て突っ走っていたあの頃のポスターをこれからもずっと見ていたいという気持ちも強くなり、結局、私がそれ以外のポスターを部屋に飾ることはなかった。

 

その気持ちが大きく変化してしまったのは、去年の4月。あの会見を機に、純粋な、ただただ真っ直ぐな好意の中に、悲しさややるせなさや、どこにもぶつけられない憤りなんていうドロっとしたものが流れ込んできて、やがてそれが心の大部分を占めてしまうのに、そう時間はかからなかった。

 

好きだから。好きなのに。そう葛藤する気持ちとしんどさを語ると不幸自慢みたいになってクソほどつまらないからわざわざ書きはしないけれど、それはまぁ、なかなかにしんどいものだった。なんでどうして、わかるように説明してよ、愛してるっていったじゃない!と、理由も言われずにこっぴどく振られた元カノみたいな感じがずっと続いた。ツアーをして、シングルも出て、6人の姿に見慣れてきても、どこかで7人の面影を探していた。なんだかずっともやもやしていた。まるで、これが夢だとわかっていて見ている夢のように、変にぼんやりと客観視していて、本当は、現実はどこか別の場所にあって、実は7人は、今も変わらず仲良くよろしくやっているんじゃないかとあるはずもない妄想をしたりもした。それでもどう転んでも彼らから離れるなんて選択肢はなかったから、そんななんともいえないもやもやごと、彼らを応援していくしかなかった。

 


だがしかし、人は慣れる。納得できていなくても、受け入れられていなくても、時間が経つと慣れるのだ。そう強く感じたのが、今年の十五祭。ただただ純粋に楽しくて、去年みたいに彼のパートを他のメンバーが歌うことへの抵抗も違和感も寂しさも、さほど感じなかった。もし彼がいたらそれはそれで楽しかったんだろうなぁと思わなかったわけではないけれど、それを切望するような気持にはならなかった。これが6人の関ジャニ∞なのだと、やっと素直に受け入れることができた。もしかしたらそれは、彼らがこの一年を計り知れない努力と根性で乗り越えてきた結果でもあったのかもしれない。

前向きに、楽しく、純粋に十五周年のお祝いをできるように、他の誰でもなく関ジャニ∞が、そういうライブにしてくれた。裏で起きている様々な内情を、決して外に漏らさないようにと自分たちの胸の中だけに留めながら。

 


だから、なんとなく、なんとなーくいつかは来るのかもしれないとうっすら覚悟をしていたそれがいざ現実となって目の前に突き付けられたときは、何もかもが信じられなかった。だって、急すぎる。オーラスの興奮が冷めやらぬ中、1スクロールにも満たない挨拶文だけを残して、それ以降彼が関ジャニ∞としてメディアに出ることはなくなってしまったし、新体制発表の動画で、5人が彼の名前を口にすることもなかった。これまでこういうことがあった時、それがエールか納得しきれていない意思表示かどうかはまちまちだけれど、何かしら本人たちに向けての言葉があったから、なんだか今回はそれすら見て取れず、ぶつりと関係が途絶えてしまったかのような印象を受けて胸がざわざわした。サタプラで丸ちゃんが、ラジオでたっちょんが、あくまでみんなで決めたことだからとは語っていたけれど、それは彼に対する言葉と呼ぶには少し違う気がした。全ての答えは5人の中だけにあって、できればそこには触れてほしくない、そう思っているのかもしれないとも感じた。

 

私はそうして先を行く彼らに追い付こうとも寄り添おうともせず、それどころか動画の中で着丈に振る舞い、どこかすっきりとしたような表情を見せる彼らに不満さえ抱いていた。全部半年も前に決まっていたんだもんねと、おいてきぼりを食らったような感覚になった。それらは何度も議論した上で本人たちが出した結論であって、ファンが立ち入れる範疇の話ではないのだということを、否応なしに理解せざるを得なかった。

だから、そこにたどり着くまでに彼らがどんな思いをしてきたかなんて、考える余裕がなかった。あまりにも現実味がなさすぎて、本当にここ最近の出来事は全て悪い夢であればいいのにと思った。朝起きたら全部、無かったことになっていればいいのにと。

 


そんな気持ちでいたから、

「がんばったよな、みんな。この二年がんばった、ほんまつらかった」

そうさらけ出す彼らの素直な言葉に、はっとさせられた。

 


「10周年まで当たり前のように続くと思ってた。これでずっと俺ら毎年やって、おじいちゃんまで一緒におんねやって」

そう、ファンと同じことを考えていたことに安心して、同時にそうならなかった現実に悲しくなった。

 


「順序立てて、今こう思うんだって。思ったことはリアルタイムで、ファンに向けても」

そう口にする彼らにとって、この半年間、誰にも本当のことを言えずに抱え込まなければならなかったことがどれだけしんどかったか、突然の発表に悲しむファンの姿にどれだけ胸を痛めたかを垣間見た気がした。

 


「脱退はもうやめよ」「閉じるときはみんなで」

「運命って選ばれへん、いろいろあがいたりしたけどさ」

その言葉に、この二年間がどれだけ彼らの心を擦り減らし、疲弊させてきたのかを感じた。がむしゃらに突き進んできた彼らの、もうそれだけではどうしようもならないことに対する諦めだとか、今まで考えてもいなかった、夢のその先にある終わりについてだとか、そういったことまで考えなければならないほどに追い詰められていたという事実が、ただ苦しかった。そしてそんな状況でも、いや、そんな状況だからこそ、ファンのことを一番に考え、いつもと変わらない、もしくはそれ以上の笑顔や幸せを届けてくれていたのだという事実に、胸が締め付けられた。

 


こんなにも苦しんで、あがいてもがいて、それでも前を向いて進もうと決意した彼らが過ごした2年間を、あろうことか私は悪い夢であればいいのにと思っていた。5人の努力を、苦しみを、覚悟を、そういうものを全部全部無かったことにしてでも、全員が同じ方向を見て突っ走っていたあの頃に戻ってくれたらいいのにと。なんてひどい仕打ちなのだろう。6人が、5人がどれだけ頑張っていても、それを見ているようで全く見ていなかったのだ。応援しているようで、いつまでも後ろに、7人の姿を重ねていた。それは今を、これからを生きる彼らを否定するのと同じことだと、心のどこかで分かっていながら。

 

けれど、彼らは許してくれてしまうのだ。今次の未来のことを考えているのを早すぎるって思う人もいると思うけど、でも付いていきたいと思ってもらえるようなグループになるから、僕ら頑張るから見ていてね、と。優しい人たちだから、受け入れてくれてしまうのだ。私はそう言ってくれる彼らの表面だけを見て、都合のいい言葉だけを切り取っていいように解釈して、この2年間甘え切っていた。そのくせ不満だけは一丁前に抱いて、彼らの本音や覚悟を知ろうともせずに。

 


今回こうしてさらけ出してくれなければ、彼らのその本音は私の憶測や想像の範疇に留まったままで、知ることもできなかっただろう。もし知ることができなかったら、私は一生関ジャニ∞の優しさにおんぶに抱っこしてもらいながら、消えないどころかもはや身体の一部になりつつあるもやもやを抱え続け、外面だけは関ジャニ∞を応援しているふりをして、それでもことあるごとに部屋のポスターを眺めては、こんなに楽しそうだったのに、あんなに楽しかったのに、今もいいけど前はもっと…と、もはや侮辱に値する、彼らが今、そしてこれから先も一番聞きたくないであろうことを思い続けていたに違いない。

 


MVを見た。

去年「ここに」を見たときと同じTVで、同じソファで、同じように膝を抱えて、同じように大泣きしながら見た。でもそれは、寂しさを堪えきれずに流した去年の涙とは全く違った。

5人がこれからも関ジャニ∞でいてくれること。

エイターのことを一番に考えてくれること。

しんどかっただろうに、十五祭という最高のプレゼントをくれたこと。

包み隠さず、全てをさらけ出してくれたこと。

その全てに対する、感謝の気持ちから流れる涙だった。

難しいことは何一つ考えられなかった。

ただただこの人たちが好きだと思った。

泥臭かろうが何だろうが、力一杯に叫ぶこの人たちが大好きだと思った。

私が好きになった人たちはこんなにもかっこいいんだぞと、大きな声で叫びたくなった。

 

「ビビッて後ろにコケんと前にコケような」

そう語る彼らを絶対に、前にも後ろにも転ばせてなるものかって思った。

だって、ずっと立ち続けてもらわないと困るのだ。

関ジャニ∞を頑張ることを頑張ると決めてくれた5人には、世界で一番幸せなアイドルになってもらわないと困るのだ。

汗も恥もかくくらいなんてことぁないんだよと歌う彼らには、世界で一番輝いてもらわないと納得ができないのだ。

泥にまみれて這いつくばってでも進むことを決めた彼らがたどり着くその場所が、今まで立ったどんなステージよりも最高な場所でないと気が済まないのだ。

 


「生まれ変わりたいわけじゃない」とヤスくんは言った。過去があっての今だからと。その通りだと思った。でも、思い出をずっと忘れないでいて大切にしていくのと、過去に固執して執着して縋り付いて依存するのは、全然違う。私の2年間はまさに、過去への依存だった。そんなの、今を、これからを懸命に生きる彼らに対する冒涜に他ならない。

 


ただ、これは私の個人的な見解であって、誰かにわかってもらおうとか、押し付けようと思っているわけではない。共感が欲しいわけでもない。私の考えが全部正しいとも思わない。

5人を応援し続けると決めた人がいれば、

2人についていくと決めた人もいる。

どっちももうつらくて見られないっていう人も、

どっちも応援していく!っていう人もいる。

それさえもまだわからない人もいるし、

やっぱり8人や7人の関ジャニ∞が全てだったって思う人も、

別の道を選んだ二人を許せないと思う人もいるだろう。

人の数だけ想いがある。そこに正解なんてない。だから、誰かが誰かを否定することなんてできないのだ。

 


たっちょんは言った。

「誰が正解なんてないから、それを正解にする行動をしていかなきゃいけない」と。

きっとこれは、ファンにとっても同じこと。私は、関ジャニ∞を世界で一番幸せなアイドルにするという自分が思う正解のために、ただただ心の底から真っ直ぐに彼らを応援し続けたい。自分が差し出せる目一杯の愛を惜しみなく捧げていきたい。だってそれしかできないから。何をどうすれば正解なのかもわからないから、目の前にあるできることに全力を注ぐしかないのだ。

「心休まる場所なんて永遠じゃねぇ」

「そんな時感じるべきは、孤独じゃなく決意だ」

「過去をそっと箱にしまって、次開ける時は、全ての人生を振り返る時でいい」

彼らがその覚悟なら、私も同じ気持ちでいたいと強く思った。

 

 

 

 


そんなことをつらつらと思いながら、ぼち夜もMVもメイキングもソロアングルも見終わって、テレビの上の、思い出の詰まった、大好きでたまらない7人のポスターを眺めた。まだあどけなさが残る、目の前の一つ一つに全力で、全員が同じ方向を見て突っ走っていたあの頃。うん、やっぱりかわいいな。世界で一番、大好きだ。

ずいぶん長い間、ここにいてくれた。今まで本当にありがとう。ここ最近はなんだか腫れ物を扱うような目で見てごめんね。たまに八つ当たりするような目で見てごめん。自分が消化できなかっただけなのに、悲しさの原因を押し付けてごめん。本当に、本当にごめん。

 


でも、やっと、大切にしまう覚悟ができた。

やっと、スタートラインに立つことができた。

これからの彼らを、心の底から真っ直ぐ応援したいと思ったから。

彼らの覚悟に、少しでも近づきたいと思ったから。

 


私が部屋のポスターを外したところで、別に何かが変わるわけではない。誰かに何かしらの影響を与えるわけでもない。そんなのわかってる。他人からしたら本当に心底どうでもよい、あ、そうで片付く話で、それをこんな風に長々と語って痛いのも恥ずかしいのもわかってる。けれどこれは、私にとって大きな決意なのだ。これを外すことが、今私にできる、これからの関ジャニ∞を応援していくにあたってのけじめなのだ。

 

ポスターを外した。10年、ここにあり続けたポスターだ。

心臓が破れるくらい痛かった。

でも、平坦になった壁に目を向けると、あぁ、なんだそういうことかと、思わず笑ってしまった。

 

壁にはうっすらと四角く、ポスターの跡が残っていた。

それは紛れもなく、関ジャニ∞が7人だったことの証で、

私が今日までの間、7人のことを大好きだった証だった。

 

上書きしたら消えて無くなるのだと思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。

これから先上から何を飾ろうとも、この証はずっと、一生消えずにここにあり続けるのだから。

 

気づけるまでに、やけに時間がかかった。

悲しい思いも苦しい思いもした。

夢見て、打ちのめされて、でもまた、彼らも私も夢を見ている。

楽しかったな。幸せだったな。

これまでの私の人生は、間違いなく関ジャニ∞に彩られていた。

二色減って三色減って、それがこれからどうなるのかはわからない。

たぶん、彼らにとってもそうなのだろう。

だからこそ、正解を探してもがき続けるしかないのだ。

やんややんやと、わめき散らしながら。

 

 

 

 

ぼんやりと跡だけを残して、まっさらになった壁を眺める。

今度はここに、何を飾ろうか。

なんだか楽しみになってきた。

 

 

 

 


願わくば彼らのこれから先の未来が、笑顔と愛と、幸せで満たされますように。

 

 

 

 


関ジャニ∞、第二章。

人生って、関ジャニ∞って最高だ。

だから、やめられないんだろう。